【ネタバレ感想】シン・ゴジラが怪獣物に疎くてもめちゃ面白かった

シン・ゴジラの物凄くネタバレな感想なので、読みたくない人は注意!

とりあえずめっちゃ面白かったです。 ゴジラとか小学生の頃にちょっと見たのと伊集院光深夜の馬鹿力で『ヘドラをやっつけろ』を聞いたっきりだしなー、怪獣物もよくわからんしなー、東京が壊されても地方在住じゃどこがどこやらだしー、という私でさえもめっちゃ面白かったです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

シン・ゴジラが、ゴジラや特撮に疎くてもめっちゃ面白かった

 シン・ゴジラ、普通上映で見てきました。非常に面白かったです! 私はオタクですが特撮は守備範囲でなく、ゴジラシリーズは小学生の頃にビオランテやスペゴジを劇場で見たのと昭和ゴジラ数本をビデオで見たくらいでよく覚えてないなー、程度でゴジラにそれほど愛着はないのですが、そんな人間でもバッチシビッタシ、べらぼうに面白かったです。

 あんまり面白かったので、慣れない感想記事など書いてみました。ぼかさずネタバレしている上に見てない人への説明を省いた、完全に既鑑賞者向けの感想なので、くどいですがまだ見ていない人はご注意を。また、一回だけ見た状態で書いていますので、記憶違いの映画内容への言及とかがあったらすいません。

 

 

全体についてとかテーマについてとか

明るく希望を描いていてびっくりしたし、メタフィクションでもなかった

 何よりまあ、こんな明るい内容だとは思いませんでした。社会派だったらしい第一作への原点回帰だとか、大人向けだとか言うもんですから、よほど重苦しく湿っぽく、メッセージ性のある話なんじゃないかと思っていたわけです。ましてあの庵野秀明監督、しかもキャッチフレーズは「現実(ニッポン)対虚構(ゴジラ)。」。これは絶対、旧エヴァ劇場版みたいな後味悪ーいメタフィクションを入れて観客に反省を促してくるんだろうという期待かつ不安を持っていたんです。

 したらよー、そういう露骨なメタフィクションとかじゃなかったしよー、ゴジラという(少し人為も入るが)荒ぶる自然の猛威に、人間たちが最初はワヤクチャしつつもやがて必死に己の職分を果たし、それにより社会を・日本を・世界を救えるっていう、めちゃくちゃ理想的で希望のある、爽快な内容でびっくりしました。

 

 

悪どい人間や、無能な政治家や官僚がいないから気持ちがいい

 怪獣映画であると同時に政治映画、災害映画、あと会話劇な今作。そういう物語って大体、主人公周辺の一部を除いて、官僚など政府関係者は体面や私利私欲、保身ばかりを気にするダメな奴として描かれることが多いと思います。今作も序盤、総理がやる気あるんだかないんだかだし、各種大臣も結論ありきの会議をしたりで、ああ、日本の政治批判を入れてくるのかなあと思いました。

 ところがどっこい、ゴジラが一度姿を現してしまえば、みんな危機感を持って全力で事に当たるではないですか。国政であるゆえの動きの遅さはありますが、それでさえも個人の保身のためというより、セーフティロックが何重にもあるのは国の暴走などを抑えるためだったりで、誰かの悪意や怠慢があっての遅さや選択ではないというのが端々で示されていると思います。

 最初の攻撃を、避難してない老人二人なんか無視して強行していれば、あの少しは弱い状態の(そしてウーパールーパーじみた間抜けな顔の)ゴジラなら始末がついたのでは、と思わなくもないですが、そうするべきだったかというと難しい。総理の「自衛隊の弾を国民に向けるわけにはいかん!」という断固とした言い方には、ただの保身やことなかれ主義だけではない気持ちを感じました。そこで一人二人を犠牲にしなかったことがその後の数百人数千人の被害を招いた(かもしれない、攻撃しても倒せたとは限らないから)とすれば、愚かなヒヨった戦闘中止命令だったという見方もありますが、果たしてそういう風に命を個数で計算していいかというのは、トロッコ問題に更に政治的争点が加わって議論が別れるところでしょう。

 また、よく考えてみれば、序盤のモタつきだってごく常識的な判断でのことだし、無難な発表で収めたい的な態度もわかるんですよね。被害地域を視察するシーンで「初動対応がうまくいかなくて犠牲が……!」って主人公が言って、上司に「ベストではないが最善を尽くした」ってたしなめられていましたが、まさにこれです。怪獣なんてもんが現れたらそりゃ普通は信じようとしないし、むしろそんなのホイホイ信じちゃう人が内閣に沢山いる方が問題です。災害らしきものとも思いづらいのであくまで日常業務として対処しようとしたから初動は遅れたけれど、でも未曽有の事態と分かってからは彼らは必死になった。

 で、そこからラストにかけては、ゴジラの存在を確かに脅威と認めたうえで、皆が最善を、或いは今度はベストを尽くしていく。ゴジラへの防衛線が首都圏優先であるという冷徹さを非難する人間もいましたが、「現実として首都圏に機能も経済も集中してるんだから国全体のことを考えれば仕方ない」という理屈を示されていて、物と人に限りがある以上、これはこれでもっともな話なのです。

 つまり、この映画、どのキャラも、大人が大人としての仕事を物凄くちゃんとやっているんですよ。基本的にいい人しかいない。敢えて言えばほぼ描かれなかった大衆が、危なくてもスマホで撮影したりしててどうなのよと思う向きもあるかもしれませんが、危険状態でパニックや暴動を起こすでもなし、愚かな大衆だとは思いませんでした。無能な、或いは有害な政治家や軍人、官僚が全然いないのって、物凄く珍しく感じます。

 アメリカについては「いつも無茶を突き付けてくる!」と何度か言われてますし、核を落とそうとするのがヤバいタイムリミットとして描かれてはいますが、でもそれだって、ゴジラがどんどん進化していく存在であるなら早いうちに全力攻撃をぶつけて退治するのは理にかなった判断で(魔王は勇者がレベル低いうちに強力なモンスターの軍勢を送り全力で叩き潰すべきだというアレ)、決して悪意や愚かさのせいではないと思うのです。もちろん、アメリカは事態を早く収拾して責任問題が重大にならないようにしたい、という目的も抱えてるとは語られていましたが、それは核プランを後押しする理由の一つになったにすぎず、その保身こそが真の目的だったというほど悪辣だという印象は受けませんでした。それに中盤の空爆でもヤシオリ作戦でも犠牲を払いつつ武装・兵士を出してくれてましたし、やはりアメリカも悪者としては描かれてないな、というのが私の感想です。

 

 

巨大な脅威に誰もが全力を尽くし解決する、まさに王道

 政治家も頑張る、軍人も頑張る、各種専門家も頑張る、苦手なはずの外交工作もうまいことやる、アメリカも外国の研究者もそれぞれ思惑はありつつ人間を信じて協力してくれる。そういう風に大人諸氏がまっとうにやるべきことを全力でやる姿を描き、こんなしっかりした人々がいるから、ボロボロになってしまってもスクラップ&ビルドで復活できるはずだ、ゴジラ=災害と共存しつつもきっと大丈夫、と綺麗なシメにするっていう、びっくりするくらい明るい話でした。中盤での「法案も急いで準備されてるし、あれこれもいろいろ進んでるし、みんな頑張ってる。まだまだこの国、大丈夫ですね」的なセリフは凄く象徴的ですね。

 巨大な脅威の前で、みんなが最善手を取り合い、職務を果たし、問題を解決するという物語は、シンプルではあるのですが、優れた演出とテンポで描かれるとやはり「いけーっ! がんばれ、よしそこだ、逆転だ―!」と盛り上がれます。インデペンデンス・デイのクライマックスシーンにも似た、王道の楽しさではないでしょうか(奇しくもシン・ゴジラより半月早く公開中のリサージェンスではなく、96年の初代の方)。

 

 

だが、日本や人類への素直なエールや期待かというとそうは思わない

 ただ、この作品で描かれる人々の魅力的な姿が、現実世界や現実日本もまた大丈夫だ、がんばろう、がんばってくれ、という期待のメッセージに直結するかというと、私はあまりそう考えません。彼ら、有能な人々ををフィクションの中のヒーローとして見る分にはすごく楽しくて、だから娯楽作品として気持ちよく見られたんですが、現実社会の大人たち(私含め)があんなしっかりしたことをできるとは、とてもとても思えない。あくまで理想のかっこいい大人たちを描いたもので、リアル日本の我々を描いたのではないように感じたのです。

 誤解しないでいただきたいですが、私は現実のお役所システムや、その場で働く人々は、しばしば物語で描かれるほど厄介で悪い物だとは思っていません。ああいうシステムは、大きな物を動かすのに不可避な効率の悪さがありつつも基本的に真っ当に作られていると考えています。世の中の大人も、官でも民でも多くの人は、多少私欲にかられる時はあってもそれぞれ頑張って働いているはずです。だから、大人たちを悪い奴らと描かなかったのは現実に即していると思っています。そのリアルさに、「そうそう、わかりやすく悪いものってわけじゃないんだよな!」と納得感がありました。(大人嫌いでもあるので子供が大人をけちょんけちょんにする話も好きですが)

  けれども、世のシステムや人々がおおむね善意でできているとした上で、残念ながら我々はシン・ゴジラの人々ほど能力は高くないでしょう。日本をうまく回したいと思ってはいても、実際的確な決断ができるかは別です。いざという時躊躇ったりビビったりするし、交渉だって難しいし、考えるべき損得は複雑すぎて意見はまとまりませんし、理性が感情や意地や怠け心に負けてしまうことも多い。

 だから、現実の人々もシン・ゴジラの人々に近い気持ちだけはあっても、実際の動きはああはできないでしょう。その点では、シン・ゴジラの人間側描写に徹底したリアリティがあるとは思いません。別にそれは作品としてちっとも悪いことじゃなく、ホームズが天才名探偵として描かれるようなものですし、シン・ゴジラは描き方も上手くて有能で魅力的な人々を好きになれました。ただそれが、現実の日本も同じくらいいい感じにできるから希望を持とうってメッセージになるとは感じなかったということです。一般ヒーロー物と同程度に励ましにはなるけど、リアルな日本を描いたから特に強い励ましになるってわけじゃないなと。

 

キャッチコピーの意味はメタフィクションではなくvsフィクションかも

 ところで、最初に書いたように、私はシン・ゴジラメタフィクションなのではないかと思って見に行きました。劇中でも序盤で「あの映像が本物かわからんじゃないか」みたいなセリフがあったから、どっかで実は架空のゴジラでした~、共同幻想でした~、っていうか観客の皆さんが見てるそれそのものなんですよ~、的ネタバラシがあるんじゃないかとハラハラしてましたが、そうじゃなかったですね。

 では、「現実(ニッポン)対虚構(ゴジラ)。」という思わせぶりなキャッチコピーはなんだったのか。一般的な解釈では、作中のリアルな日本国が、現実的な仕組みや手続きを取って、虚構存在なはずの怪獣王ゴジラと戦う、ってとこでしょう。

 でも敢えてそこから外れた解釈をしてみます。

 私の考える「現実(ニッポン)対虚構(ゴジラ)。」の意味は、「現実日本、即ち我々の暮らしているまさしく現実の日本&国際社会」と、「シン・ゴジラという作品内で描かれている虚構の日本&国際社会」を対比させたキャッチフレーズである、ということです。

 つまり、「ゴジラ内での虚構の日本は、こんなに頑張って、己の仕事を果たして、協力するところではちゃんと協力して問題解決して、ゴジラとも災害とも共存してスクラップ&ビルドして再起していける。対して、現実の日本は、色々な災害、不安定な世界情勢や経済情勢の中、シン・ゴジラで描かれた人々くらいちゃんとやっていけるのだろうか。リアル日本vsゴジラ劇中の虚構日本で勝てるのかい、どうなんだい!」という挑発のような意図があったのではないか、と思うのです。

 穿ちすぎな気がしなくもねえな~、私がうだつの上がらない人間だから、現実への失望感のせいでエールをエールと受け取れねえだけかな~。

 

 

その他コマゴマと

ヤシオリ作戦で示されるゴジラヤマタノオロチ=災害

 ゴジラに薬を飲ませて活動停止させる作戦について、「ゴジラ冷凍作戦じゃ子供っぽいし……ヤシオリ作戦で」って名付けられましたね。急に出てきたヤシオリという言葉に戸惑いつつ、記憶の隅に「ヤマタノオロチに酒飲ませて退治された伝承に、ヤシオリだかいう言葉がなんかで関わった気がするし、ゴジラヤマタノオロチとみなしてんだな! かっこいー!」と思って見ていたんですが。

 家に帰ってからwikipediaでヤマタノオロチを調べるとヤマタノオロチに飲ませて酔わせた酒が八塩折之酒(ヤシオリノサケ)というらしく。なるほどー、これかー!(もっと正しくは、樋口真嗣庵野秀明などが関わった八岐之大蛇の逆襲という特撮があるらしく、そっちを意識しているのでしょうが私はその辺全然わからないので名前だけ出しておきます)

 そしてまた、ヤマタノオロチは洪水の化身であったと解釈されることもあるようで、そういえば序盤、海から川を遡上してくる時に、ゴジラ自身はほぼ姿を見せぬままボートが押し流されていくシーンが何度か出るたびに、東日本大震災津波の映像を思い出していました。そういう意味でも、ゴジラヤマタノオロチ→洪水→津波東日本大震災、というメタファーの連なりがあるのかもしれません。

 中盤、自衛隊が攻撃するより前の会議で「ゴジラは生物だ、自然災害ではない。ということは退治できるということだ」という言葉がありましたが、それに反して、どこか恐怖を残しつつ共存というエンドになったのも、やはりゴジラは災害を意味していた気がします。

 線量、シーベルト、被爆、風評被害、など、福島の事故以来いやでも聞き馴染んでしまった言葉たちが沢山出てくるのも、災害っぽさを感じました。シン・ゴジラの世界では、過去にゴジラが現れたことはなく、多分ですがフィクションとしての怪獣物もあまりないのでしょう(ウェブ上で一度も怪獣という言葉が使われてないって話が回ってますが、途中から注意して聞いていたらどこだったかで一回だけ怪獣って言葉が出たような記憶がある)。そしてもしかしたら、東日本大震災が起こらず、代わりにゴジラが現れたのかも、なんて思いました。

 

 

役者よかった、市川実日子さん可愛い

 役者がみんなよかったですねー。変に力みすぎたり、カッコつけて寒くなったりがなかったと思います。

 政治家のおじいさんたちのモゴモゴ口調がたまに聞き取れない部分ありましたが、それでも大事なところはちゃんと聞こえてましたし、あの政治家っぽい口調はリアリティがあってよかったです。

 一方変人が集まった対策班やアメリカからの使者はアニメっぽい人々のチームなわけですが、彼ら彼女らも、この映画の中で浮いてしまわないギリギリのアニメ的キャラ付けと演技になっていてとてもよかったです。市川実日子さん演じる、環境省のナンタラカンタラ課長補佐とかめっっっちゃ可愛かった(序盤に御用学者が役に立たんからと、代わりに呼ばれて色々分析したクールで鉄面皮な早口の女性)。あと高橋一生(オタクっぽい男性、前述の実日子の「核融合ゴジラの動力かも」に「それはないでしょ」と言っていたのが正しかったと分かって「ごめんね」と言った人)もキモかっこよくて好きでした。

 

 

エヴァの音楽(8/1、20:00追記)

 エヴァの例の音楽! あのドラムのイントロが流れた時「えっ、まさか、マジで」と思いつつも、メロになって確かにDECISIVE BATTLEだと分かった時にはウヒョーとなりました。賛否あるようですが、私はこの音楽が使われたことをとても楽しめました。Hip Hopなど音楽において自分の代表作の印象的な歌詞・メロディをその後も繰り返し挿入したり、画家が同じモチーフを絵に入れたりするのと近い、作り手の遊び心だけでない、バラバラな作品たちが文脈で繋がることの面白さがあると思います。

 劇中でこの曲が流れるたびに、ギターが加わったりで派手に・激しくなっていくのも、見ていてテンションが上がっていくのを後押ししているようでよかったです。ゴジラだけが進化していくのではなく、DECISIVE BATTLEも、つまり人類側も力をつけていく、みたいな表現ともとれますね。

 加えて、これは多分勘繰りすぎなんですが、露骨なメタフィクションではないと思ったこの映画において、DECISIVE BATTLEが流れることについては不思議なメタ感というか、第四の壁が揺らぐというか、現実と作中が接続される感覚がありました。というのは、既に現実では、色んなテレビ番組やラジオなどでも散々この曲が使われています。もはやこの曲は現実の一部、我々の日常の一部としてガッチリ組み込まれているのです。その現実の一部が架空の作品に登場することによるグラつき。

 DECISIVE BATTLEは、「庵野秀明作品の音楽」「エヴァという作品の音楽」というフィクション作品に付随した存在であると同時に、「普段見るテレビの会議シーンや戦闘準備シーンでお決まりの音楽」という現実と地続きのものになっています。それがシン・ゴジラの会議シーンや戦闘準備シーンで流れることで、フィクションとリアルが妙なくっつき方をしたように思いました。この浮遊感は、ただの有名な過去の自作からの引用というだけでは出てこないものだなと思います。

 

 

ゴジラかっこよかった

 言うまでもない気がして後回しになっちゃいましたが、ゴジラはめっちゃかっこよかったです。序盤のウーパールーパーみたいな四足で間抜けな顔の姿から始まって何段階か進化するせいで、そのたびに新鮮さや驚き、かっこよさを感じることができました。ウーパールーパーの時は「えっこれゴジラじゃないでしょ? ゴジラと戦う怪獣のほう?」とか思ってたんですが、立ち上がったところで、「あっゴジラだ……ちょっとグロい生物的なゴジラだ……!」ってなり、そして私の記憶に近い姿の再登場を経ての、熱線! 熱線がかっこよく見えるように工夫されてたなあと思いました。最初はただの猛烈な炎として出てたのが、色が変わり、そして急に収束してレーザーめいた熱線として周囲を切り裂きまくる、っていうの、ゴジラフリークでなくともテンションが上がりました。もしかして旧来の太い炎っぽい放射火炎が好きな人からするとなんか違うのかもしれませんが、私はあのSF兵器っぽい収束レーザー熱線、めっちゃイカして感じました。下顎が開くのも不気味でよかった。

 

 

結びに

 なんで3Dでやってくれないの!!!! そりゃ政治劇・会話劇が長いしそこが凄く面白かったけどゴジラゴジラっぽさも素敵だったから3Dで見たかったよ!!!!! 市川実日子さんも!!!!!